ふと思ったのです。
『酒』って
アルコール臭はするし、
酔っぱらって
とんでもない醜態をさらす
オソロシサがあるのに、
いったいどうして
わたしゃ『そんなのもの』を
成人してからずっと
飲んできたのだろうかと。
せっかく
『女性』として生まれたのに、
どうして
『アルコール臭』やら
『醜態をさらすこと』なんぞに
貴重な20代
30代をついやして
振り回されて
きたのだろうかと。
ほら、
とりあえずワタクシメも
『女性』ですから、
オッサンくさい
『酒』とかじゃなく、
もっとこう
『美しいもの』
『美しいことがら』に
とりつかれても
良かったハズなのにねーと。
うぬぬぬぬー
なにやってたんだろー
わたし
ってことなんですが。
でね、
だいたいそもそも
わたしゃどうして
『酒を飲み始めた』のかなぁと。
今回は
そのあたりを
振り返ってみようと思います。
こんにちは。
このブログの管理人
『まちゅ』と申します。
いつも当ブログへ
お越しいただき
ありがとうございます。
さて、
『まちゅ』は子どものころ、
お母さんから
『お酒は大人のジュース』だと
教えられ、
お父さんからは
『親子で酒をくみかわすのが夢だ』と
念仏のように
聞かされながら
育ってきました。
成人式の日の夜に、
お父さんとお母さんから、
ビールをそそがれ、
つぎに
日本酒をすすめられ、
そして
記憶をなくしました。
『おまえは弱いなあ』と
ふたりは笑っていました。
就職すると、
『酒を飲まないと一人前じゃない』と
職場のオジサンたちに言われ、
ビールや焼酎、
日本酒を
『もっと飲め』と
目の前にさしだされました。
22歳のころの話です。
まわりの人たちは、
みんな酒を飲んでいました。
『飲めない人たち』は、
それくらいも飲めないの?
と言われ、
『無理をして』
飲まされていました。
『赤い顔』になると、
『弱い』『弱い』と
からかわれました。
『顔色が変わらないひと』は
スゴイ、スゴイと
ほめたたえられていました。
はやく
『一人前』になりたかったので、
たくさん、たくさん
『お酒を飲む練習』をしました。
すると次第に、
いくら飲んでも
『へいき』な気持ちに
なっていきました。
あるとき、
職場から家に帰ると、
『必ず缶ビールを飲んでいる自分』に
気がつきました。
夕食のしたくをする前に、
『必ず缶ビールを飲み始める自分』に
気がつきました。
そういえば昔、
お母さんが、
缶ビールを片手に、
『仕事の疲れがとれる。気つけ薬だ』
とか言いながら、
台所へ立っていたのを
思い出しました。
へぇー
お酒を飲んだら
疲れが取れるんだーと
思いました。
気づくと
母のようになっていました。
母のように、
『飲んでグチを言う』女に
なっていました。
あの人が悪い
この人が悪い
こんなハズじゃなかった。
飲んで、
酔っぱらって、
『人生はツライ』と言う女に
なっていました。
そしてあるときから、
朝、しんどくて
起きれなくなりました。
朝がツライから、
朝食を作れない。
もちろん
お昼のお弁当も作れない。
だから
朝ご飯はテキトー。
食べたり
食べなかったり。
そしてお昼も
テキトーにどこかで購入。
夕方はヘトヘト。
夕食の準備なんて、
しんどくてムリ。
だからお惣菜とか、
外食したり。
するとお金が
どんどん減っていった。
たりない
たりない
ぜんぜんたりない。
こんなにしんどいのに、
ぜんぜんたりない。
がんばってるのに、
ぜんぜんたりない。
買いたいものが買えない。
不幸だ
不幸だ。
わたしは不幸だ。
洗濯するのもしんどい。
お掃除をするのもしんどい。
片づいていない家の中を
目にするはもっとしんどい。
もっとキレイな
部屋にしたい。
もっとキレイな
おうちに住みたい。
モデルルームみたいな
おうちに住みたい。
どうして
雑誌みたいな
キレイなお部屋に
できないんだろう。
どうしてわたしは
片づけが
できないんだろう。
そしてなにもかもが
しんどくて
たまらなくなって
いったのです。
『楽しいこと』なんて、
なにもありませんでした。
ツライこととか、
イヤなことばかりが
耳や目に
入ってきました。
頭の中は、
ツラいことだらけでした。
朝起きて、
しんどい体に
ムチを打ちながら出勤し、
ヘトヘトになって、
家に戻ってくるだけです。
通勤電車も
職場も、
人間関係も
経済状況も
なにもかも
どうして自分の人生は
『こんなこと』に
なってしまったのだろう?
そう考えるようになりました。
でも、
考えても
考えても、
どうしてこうなるのかが
わかりませんでした。
口から出てくる言葉は、
『外』に原因を探す言葉ばかり。
わたしは
犠牲者だ。
『あのひと』
『このひと』
こうなったのは、
『まわりの誰かのせい』だと
思うようになりました。
右手には
缶ビール
缶チューハイ。
そして
どんどん濃くなっていく
お酒。
飲んだ時だけ、
このツライ気持ちから
解放される
だから
よりいっそう、
お酒を
手放せなくなっていきました。
そして
くもった、
ある日の夕方、
薄暗い部屋の中で
ひとり、
しばらく使っていなかった
パソコンを
なにげなく開きました。
ぼーっとしながら、
クリック
クリックしていると、
『断酒したら、
朝、散歩できるようになった』
と書いてある
ブログにたどりつきました。
散歩中に目に入ってくる
『小さな花』が
とても美しくて感動したのだと
そこには書いてありました。
それから数日後、
わたしは
ある本を手にしていました。
それが
アレン・カーの書籍
『禁酒セラピー』です。
わたしは、
花を見て
『美しい』と思える人になりたいと
思ったのです。
あのブログの人のように、
断酒したら、
『自分もそうなれるのではないか』と。
ソワソワしました。
『早くそうなりたい』と思いました。
『最後の一杯』を飲んでから
お酒をやめてくださいと
『禁酒セラピー』には
書いてあるのに、
最後の一杯なんて、
『飲みたくないよ』と
思いました。
お酒なんて、
もう飲みたくない。
断酒して、
早く『そちらの世界へ行きたい』と
思ったのです。
一気に、
たどりつきたいけれど、
こればかりはムリだ。
だからとにかく、
いまこの瞬間から
酒をやめたい。
そして
『飲まない時間』を
積み重ねたい。
あのブログの人のように
わたしもなりたい。
1時間、
そしてつぎの1時間。
『万里の道も一歩から』と
いうではないか。
最短で、
たどり着くには、
はてしないように
見えるけれど、
じつはコレが
『一番の近道』なのだと。
ソワソワと
はやる気持ちと、
『飲みたい気持ち』の間で、
すごす時間。
なんともいえない、
不思議な時間。
飲みたいけど
飲みたくない
飲みたくないけど
飲みたいな
なんじゃこりゃー
というカンジ。
そしてその勢いで
わたしは
この断酒ブログを
立ち上げたのでありました。
『この気持ち』を、
これからもずーっと
忘れないために。
今日で酒を断って
2375日目。
いつの間にか、
あの時、目にした
ブログの人の日数を
超えていた。
あのブログに
書いていたとおりだった。
美しいものが
たくさん目に入るようになった。
散歩していると、
小さな花の
生命の美しさに
思わず立ち止まり、
わたしは断酒がもたらしてくれた
この小さな幸せに
感謝の気持ちが
こみ上げるのでした。
それではまた(^^)/