今回は
わたしの『持病』について
書こうと思う。
『多発性子宮筋腫』の
筋腫核出術という、
開腹手術をしてから、
今年で10年になりました。
そして手術後、数年たち、
『甲状腺機能低下症』を発症し、
2007年から、
『チラージン』というお薬を飲む
治療を始めたところ、
子宮に残っていた筋腫の芽が、
どんどん
大きくなったような気がします。
半年ごとの検査で、
1cmだった筋腫が2cmになり、
2個あったのが、
『あら、4個ありますね』
『6個ありますね』になり、
3年経つころには、
『無数にありますね』
になった。
多発性子宮筋腫が
再発してしまったんです。
子宮筋腫には、
いろいろな種類があり、
人によって個数が違ったり、
大きさも違うし
できる場所も違います。
わたしの場合は、
子宮全体に
筋腫の芽が無数にあって、
それはお医者様曰く、
目に見えないほど
小さいものだそうですが、
その芽が時間とともに
だんだん成長していって、
ものすごい数の
筋腫になってしまうというものです。
なので
10年前に、
不妊治療で相談へ行ったのを機会に、
いまできている筋腫を
すべて取ってしまおうと
決断したのですが、
また、再発してしまうのは
時間の問題でした。
その間、
妊娠しなければ、
また筋腫ができて
どうしようもなくなってしまうので、
ものすごく、
時間に対する焦りがありました。
しかし、
焦りとはうらはらに、
甲状腺の病気も出てきて、
妊娠できない問題が、
また一つ増えることになったんです。
どうして、
こういうことになるのだろうかと。
どうして、
わたしには、
子供を授かることができないのだろうかと。
つらかった。
とってもつらかった。
何か、
わたしが悪い事でもしたのだろうかと思った。
たくさん
たくさん、
涙を流した。
わたしが、
こういうことになっていることを知っていて、
『子供はすごくいいよー、どうして産まないのー』と、
にやにやして、言ってくるおばさんもいた。
世の中には、こんなヒドイ女もいるんだということも知った。
そして、
こんなヒドイ女でも、
ポコポコ妊娠して、
いらなければ中絶して、
ほしい時だけ子供を産んで、
『母親』になれるんだと知った。
深い深い悲しみ。
そんなヒドイ女にさえ、
自分は劣っていると思った。
そして、
とてもたまらなく
悲しくなった。
女なのに、
女ではないように感じたのです。
いつだったか、昔、
政治家のおじさんが、
『女は産む機械』だと言って、
とても非難されたが、
わたしは、
『産む機械にさえもなれない』と思った。
おまえはダメだ。
そう言われているように感じた。
深い深い悲しみ。
この悲しみから、
いつか、
抜け出すことができるのだろうか。
ああでも、
そんなことは、
もう、ずーっとないだろうと、
お酒を飲むと、
涙があふれた。
深い深い悲しみに、
どんどん
どんどん
落ちていった。
夕方になると、
お酒を飲みたくなった。
そして、その悲しみに
身をゆだねて、
また、どんどん、
お酒を飲んでいった。
そしてあるとき、
高齢での妊娠は、
母親の卵子ができてから
時間が経ちすぎているので、
授かった赤ちゃんには、
いろいろと危険が伴うという話を聞いた。
わたしは37歳になっていた。
もうすでに、
立派な高齢だと思った。
そして、月日が経った。
わたしは、お酒をやめた。
『お酒を飲む習慣さえなければ』
こんなことには
なっていなかったはずだと思ったからだ。
そして、
『子供を産みたい』という気持ちに
決着をつけることにした。
40歳を前にして、
仮に妊娠したとしても、
その子が、
危険な目にあってしまうリスクが
とても高いのであれば、
『妊娠をしないこと』も、
立派な選択肢ではないかと思った。
そして決断した。
『わたしは、産まない』と。
すると、
とても気持ちが楽になった。
何かに追われるような、
『苦しみ』から解放されたと感じた。
昨日までの景色が違って見えた。
空はこんなに青いのだと、
緑はこんなに清々しいのだと、
さざ波はこんなに心地よく、
聞こえていたのだと。
風はこんなに、
やさしく吹いているのだと。
わたしは、
新しい命を生み出すことはできなかったが、
私自身が、
生まれ変わったように感じた。
そこへ行きつくまでに、
10数年もかかったのだけれど。
生きているだけで、いいじゃないか。
それだけで、素晴らしい。
残された人生を、
自分の好きなように生きて行けばいい。
なんだ、
そうだったのかと。
わたしは自由に生きていいんだと。
そんな素晴らしい人生が、
実は、目の前にずーっとあった。
日の当たる、
暖かい道がすぐ目の前にあったのだけれど、
わたしは、
ツラくなると
いつもお酒を飲んでいたから、
『目の前に、
何があるのかが』わからなかった。
ぐるぐる、
ぐるぐる、
闇の中をさまよい続ける、
底なし沼のような毎日。
それが、
異常であることに、
お酒をやめてみて
初めて気がついた。
体の中から、
少しずつアルコールが消えていくとともに、
もやが晴れるように、
暖かい道が見えはじめた。
お酒をやめたからこそ、
出会えた新しい道。
一筋の希望の光。
さあ、今日も、
素晴らしい一日にしよう。